寺 沿 革


 福岡県福岡市早良区百道に位置する大悲山千眼寺は、曽て元寇の古戦場であった百道松原の一角に、 時の黒田藩主、黒田綱政、尾張徳川光友公などの発願によって建立された福岡では唯一の中国福建省 福清県にある黄檗山萬福寺を始めとする中国の伝統禅の流れに属する黄檗宗の禅寺であります。



 ご開山は天祐海信というお方で、中国明末の臨済宗を代表する密雲円悟禅師や費隠通容禅師の 法を受け継いで、日本に東渡し京都宇治に黄檗宗の本山を創建された隠元隆g禅師の法孫である 千呆禅師の法を受け継いでこの百道の一角に1698年(元禄11年)に筑前一帯の保安平善の 祈念道場として一寺を建立されたのが始まりであります。

 師の千呆禅師は長崎崇福寺、本山萬福寺を歴任された紫衣(皇室より賜れる衣)の名僧であり、 中国僧であります。天祐禅師はこの師に長く随侍してついにその法を得られ、この福岡の地に 中国の伝灯禅を鼓吹された傑僧です。


 江戸初期から中頃にかけて渡来した中国僧は、また中国大陸に 伝わる色々な文化を日本に将来しましたが、その寺院に於ける儀式作法や梵唄(唐韻によるお経)等の外、 書画の技法、建築文化や情報など移注して大きな影響を与えました。

 黄檗宗はその頃の中国明朝1368年 〜1644年頃の仏教儀礼の伝統と明朝の文化を受け継いで今日に至っています。 従ってその伽藍様式には随所に中国風の形式(朱門や白壁、赤い縁取りの円窓、卍字くづしの欄干、 蛇腹の天井、中国渡来の仏像などの外、寺宝として鉄眼版の大般若経六百巻、隠元禅師はじめ祖師方の書、 中国画家による羅漢図など)が、残されています。

 千眼寺は黒田藩政時より今日までに仏縁を結んだ檀信徒 菩提寺でありますが、一般の方の座禅研修や煎茶の道場としても門戸を開いております。 以上は大悲山千眼寺の由来の概略であります。

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