廣済寺

広済寺

〒134-0003
東京都江戸川区春江町4-23
電話:03-3653-4345

黄檗宗-禅宗 座禅することによって悟りをえて仏になろうとするのが禅宗です。
日本の禅宗には黄檗宗、臨済宗、曹洞宗の三宗があります。
黄檗宗は、はじめ臨済正宗と称していましたが、明治九年に黄檗宗と改めました。
日本への伝承時期 江戸時代の承応三年(1654年)に、隠元禅師を宗祖として、
達磨大師の禅を継承する臨済禅の正統派として伝えられました。 
隠元禅師 隠元禅師は中国明朝末のお坊さんであり、その名声は日本にまで知られていました。 中国福建省で1592年にお生まれになり、福建省福州の黄檗山萬福寺の住職として、 大いに禅風を挙揚しておられましたが、日本からの招きに応じて、63歳のとき多くの弟子を伴って来朝されました。
本山 本山は京都府宇治市の黄檗山萬福寺です。 隠元禅師が日本に渡って来られて後、後水尾法皇始め徳川将軍家の帰依を受けられました。
徳川家綱公より京都府宇治市に寺領十万坪を与えられ中国の黄檗山萬福寺を模して、明朝様式の禅寺を創建しました。 名前も同じ黄檗山萬福寺とされました。
おしえ 唯心の浄土・・・己身の弥陀
「無限の自由と愛の世界
この身このままが仏である。」
私たちは、本来仏心を持っています。
そのことにきづくことです。
ご本尊 高さ9.5mの釈迦牟尼仏が本尊として祀られています。
但し、末寺では一仏にこだわらず縁に従って各本尊が安置されています。
お経 黄檗宗も他の禅宗と同じく所依の教典はありません。
この事はお経によって、成立した宗派ではなく、仏の心を宗旨とするからです。
そのためには如何なる教典も大切にしています。
中でも祖録が大事に扱われています。
黄檗宗が日本に与えた影響 黄檗宗の宗祖が、隠元禅師であることを知らない人でもインゲン豆は誰でも知っていると思います。 日本に与えた影響は多岐にわたります。 インゲン豆をはじめとして、木魚・普茶料理・明朝体活字(鉄眼一切経)・黄檗の書画・煎茶・日本最初の公立図書館を作るなどがあります。 このように、隠元禅師をはじめとして、多くの黄檗宗の高僧方が、日本の文化に与えた影響はおおきいものがあります。