Houunzenji
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縁起

黄檗三傑の1人、慧極道明禅師によって寛文12年(1672年)に開山された黄檗宗の中本山格の寺であります。山門・天王殿・大殿(本堂)・開山堂・耀先殿など、黄檗様式の建物群としてのまとまりと、全てではないものの建築当初の伽藍構成を今に残しており、寺伝によれば、法雲禅寺の前身は弘法大師の開基で神福山長安寺と称する真言宗の巨刹でありましたが、元和年間(1615年~24年)に西除川の氾濫によって流失しました。

その後変転をかさね、寛文11年、曹洞宗の僧宗月が霊夢によって地中より観音像を掘り出して草庵に安置し、翌年、宗月は慧極禅師に来住を乞い、寺を委ねたということです。

まず山門を三千仏入り進むと、最初に天王殿があります。これは黄檗宗独特のお堂で、正面に布袋尊(弥勒菩薩)が安置されてます。まず最初に布袋尊にお参りすることによって、その大きなお腹に人間の持っている煩悩や、欲望を取り払って戴きます。その後、他のお堂に参り、帰りにもう一度参ると、手に持った布袋から「徳」を与えて下さるという 言い伝えがあり、ここに安置しています。またこのお堂はその名が示す通り四天王が四方に安置されており、侵入者から寺を護っておられます。

天王殿を過ぎ、さらに進むと大殿(本堂)があります。本尊は釈迦如来・薬師如来・阿弥陀如来の三尊を中心に3333体の大小の仏像で、これはむかし大阪の富豪であった今津浄水氏が寄進されたものです。

本堂の東には檀越狭山藩主北条家の位牌を祀る耀先殿が、本堂裏手には北条家の墓所があります。耀先殿のさらに東には開山慧極禅師の古希を祝って建てられた開山堂。正面に禅師の像が安置され、その上には「大機」の文字を記した額が掲げられています。この文字は後水尾法皇の御息女光子内親王が書かれたものです。これらの他にも幾つかのお堂があり、過去には禅堂も備え、雲水(修行僧)の道場となっていました。